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代表挨拶

人に向き合う 企業が向き合う

代表取締役 片野坂 拓也

僕は福岡県の春日市で生まれました。
当時は都会だと思ってたんですけど、大阪とか東京に来たら、結構田舎やったんやなって思いました(笑)

兄がいる4人家族で、なに不自由なく育ちました。3歳からピアノを習っていて、今でもたまに駅にあるストリートピアノを弾きます。一番よく弾くのは坂本龍一さんの「Energy Flow」です。
子どもの頃は、好きな子のスカートをめくったりする、めちゃくちゃやんちゃな子でした。
ただ体はあまり強くなくて、喘息がひどかったんです。花火大会にも行けないくらいで、毎日吸入器を使っていました。でも小学校で空手や水泳、サッカーを始めてからは体も強くなりました。
演劇ではよく主役をやらせてもらっていて、人前に立つことは昔から好きでした。
6年生ではクラブ活動のじゃんけんに負けて茶道部になったのですが、女の子に囲まれて正座していた経験は、意外と今にも生きてる気がします。

小学3年生の頃には、いじめを経験しました。典型的なタイプのいじめで、クラスで無視されるようになりました。先生にも「つらくない?」って聞かれたけど、「大丈夫!」って強がっていました。でも限界がきて親に相談したら、母から「逃げるな。ちゃんと立ち向かえ」と言われたんです。
その言葉で覚悟が決まって、みんなに宣戦布告の電話をかけました。そこからテレアポが強くなった気がします(笑)
そしたら中心にいた子からも電話がかかってきて、仲直りしました。その子とは今でも親友です。その経験から、「逃げずに向き合えば状況は変わる」っていう考え方が、自分の中に根付きました。

高学年になるとクラスの中心にいるようになって、中学生では好きになった女の子の影響でヤンチャなこともするようになりました。
ただ、高校に入る頃には家にもあまり帰らなくなり、勉強もしなくなって第一志望には落ちました。進学した高校はサッカーの強豪校で、3年間サッカーに打ち込みました。
その頃はクラブミュージックにもハマっていて、音楽の世界に興味を持つようになりました。でも高校生活はあまり居心地がよくなくて、誹謗中傷を受けたり、人間関係でイライラすることも多かったです。
先生から「男なら大阪か東京に行け」と背中を押されて大阪芸術大学へ進学しました。
ただその時に「自分ひとりでもやっていける」と思って1年で辞めました。親にはめちゃくちゃ怒られましたけどね。

その頃は佐川急便で夜勤をしたり、電柱の写真を撮る仕事をしたり、山の中で自然音を録音する仕事をしたり、いろんな仕事を経験しました。同時にフリーで音響の仕事もしていました。
20歳くらいのときに始めたのがコールセンターです。当時は髪型がドレットだったので、髪型自由で土日だけ働ける環境は僕に合ってました。最初は営業トークを覚えていたのですが、それを全部捨てて、自分の言葉で話すようにしたら、200~300人いる中でトップになれました。

20代前半は月50〜60万円くらい稼いで、海外旅行にもたくさん行きました。イタリアやフランスなど、本当に遊びまくっていました(笑)
その後はブランド品の買い付けなんかもしていたんですが、「このままじゃあかんな」と思うようになった頃、ずっと絵をかいていた兄から「映画を作ろう」と誘われました。
2時間の映画『たびのやまびこ』を制作して、国際映画祭にも応募しました。結果は最終選考まで行ったけど受賞はできませんでした。その時に、自分はこの道を一区切りつけることにしました。

そこから「今まで本気で営業をやってこなかったから、本気でやろう」と決めて営業に集中しました。チームでも個人でもトップの成績を出せるようになりました。
管理職になってからは、人との出会いと別れをたくさん経験しました。その中で、「人は無理だと思っても、向き合い続ければ変わる」ということを強く実感しました。
組織も2〜3人から10人、20人とどんどん大きくなっていきましたが、会社員の立場では会社全体の文化や仕組みを変えることには限界がありました。
だったら自分で会社を作ろう。そう決めて独立しました。退職するときに泣いて見送ってくれた2人が、今では会社の幹部になっています。
だから、僕は最初からコールセンターがやりたかったわけじゃないんです。作りたかったのは、「文化」を大切にする会社でした。たまたま一番実現しやすい手段がコールセンターだっただけです。
今も変わらない想いは、「一人でも多くの人が活躍できる環境をつくりたい」ということです。

代表取締役 片野坂 拓也

僕は福岡県の春日市で生まれました。
当時は都会だと思ってたんですけど、大阪とか東京に来たら、結構田舎やったんやなって思いました(笑)

兄がいる4人家族で、なに不自由なく育ちました。3歳からピアノを習っていて、今でもたまに駅にあるストリートピアノを弾きます。一番よく弾くのは坂本龍一さんの「Energy Flow」です。
子どもの頃は、好きな子のスカートをめくったりする、めちゃくちゃやんちゃな子でした。
ただ体はあまり強くなくて、喘息がひどかったんです。花火大会にも行けないくらいで、毎日吸入器を使っていました。でも小学校で空手や水泳、サッカーを始めてからは体も強くなりました。
演劇ではよく主役をやらせてもらっていて、人前に立つことは昔から好きでした。
6年生ではクラブ活動のじゃんけんに負けて茶道部になったのですが、女の子に囲まれて正座していた経験は、意外と今にも生きてる気がします。

小学3年生の頃には、いじめを経験しました。典型的なタイプのいじめで、クラスで無視されるようになりました。先生にも「つらくない?」って聞かれたけど、「大丈夫!」って強がっていました。でも限界がきて親に相談したら、母から「逃げるな。ちゃんと立ち向かえ」と言われたんです。
その言葉で覚悟が決まって、みんなに宣戦布告の電話をかけました。そこからテレアポが強くなった気がします(笑)
そしたら中心にいた子からも電話がかかってきて、仲直りしました。その子とは今でも親友です。その経験から、「逃げずに向き合えば状況は変わる」っていう考え方が、自分の中に根付きました。

高学年になるとクラスの中心にいるようになって、中学生では好きになった女の子の影響でヤンチャなこともするようになりました。
ただ、高校に入る頃には家にもあまり帰らなくなり、勉強もしなくなって第一志望には落ちました。進学した高校はサッカーの強豪校で、3年間サッカーに打ち込みました。
その頃はクラブミュージックにもハマっていて、音楽の世界に興味を持つようになりました。でも高校生活はあまり居心地がよくなくて、誹謗中傷を受けたり、人間関係でイライラすることも多かったです。
先生から「男なら大阪か東京に行け」と背中を押されて大阪芸術大学へ進学しました。
ただその時に「自分ひとりでもやっていける」と思って1年で辞めました。親にはめちゃくちゃ怒られましたけどね。

その頃は佐川急便で夜勤をしたり、電柱の写真を撮る仕事をしたり、山の中で自然音を録音する仕事をしたり、いろんな仕事を経験しました。同時にフリーで音響の仕事もしていました。
20歳くらいのときに始めたのがコールセンターです。当時は髪型がドレットだったので、髪型自由で土日だけ働ける環境は僕に合ってました。最初は営業トークを覚えていたのですが、それを全部捨てて、自分の言葉で話すようにしたら、200~300人いる中でトップになれました。

20代前半は月50〜60万円くらい稼いで、海外旅行にもたくさん行きました。イタリアやフランスなど、本当に遊びまくっていました(笑)
その後はブランド品の買い付けなんかもしていたんですが、「このままじゃあかんな」と思うようになった頃、ずっと絵をかいていた兄から「映画を作ろう」と誘われました。
2時間の映画『たびのやまびこ』を制作して、国際映画祭にも応募しました。結果は最終選考まで行ったけど受賞はできませんでした。その時に、自分はこの道を一区切りつけることにしました。

そこから「今まで本気で営業をやってこなかったから、本気でやろう」と決めて営業に集中しました。チームでも個人でもトップの成績を出せるようになりました。
管理職になってからは、人との出会いと別れをたくさん経験しました。その中で、「人は無理だと思っても、向き合い続ければ変わる」ということを強く実感しました。
組織も2〜3人から10人、20人とどんどん大きくなっていきましたが、会社員の立場では会社全体の文化や仕組みを変えることには限界がありました。
だったら自分で会社を作ろう。そう決めて独立しました。退職するときに泣いて見送ってくれた2人が、今では会社の幹部になっています。
だから、僕は最初からコールセンターがやりたかったわけじゃないんです。作りたかったのは、「文化」を大切にする会社でした。たまたま一番実現しやすい手段がコールセンターだっただけです。
今も変わらない想いは、「一人でも多くの人が活躍できる環境をつくりたい」ということです。

人が作る企業を。企業が作る人の未来を 人が作る企業を。企業が作る人の未来を

私たちWOW JAPANエンタープライズ株式会社(旧:株式会社エルズパートナー)は「人のつながり」を大きなテーマとして2018年に3名の仲間と共に発足しました。 企業を動かす原動力は他にはない「人のちから」だと信じて疑わずにこれからの激動の時代を生きぬいていこうと決心しここまで歩んできました。

そして、2025年12月22日より「株式会社エルズパートナー」から「WOW JAPAN エンタープライズ株式会社 」としてスタートしました。お客様だけでなく、働く人の幸せを大切にする、社員ファーストの姿勢はこれからも変わりません。その上で私たちは、サービスを通してお客様に「WOW!」と驚き、感動していただける体験を、これまで以上に届けていきたいと考えています。 所属部署や担当業務にとらわれず、「相手のために何ができるのか」
「どうすればWOW(感動体験)を生み出せるのか」
を自ら考え、行動できる人へと成長してほしい——
そんな想いを、新しい社名に込めました。

事業の推進力を支える源泉は「人」です。 私たちは創業当初から人と向き合うということを大切にしてきました。 ビジネスとして「何をやるか」ではなく「誰とやるか」に重きを置き共感してくれる仲間を集めてここまで成長してきました。 個人が考え、周りの仲間が助け企業が向き合うことにより事業は持続発展していきます。 これらの実直な信念を基に多角的なスキームを構築し、実際に行動することが事業だけではなく社会をも巻き込んで成長できると確信しております。 私たちの理念をもって次世代、次々世代へも成長し続ける企業を目指していきます。

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